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空のいろ

本、映画、TVドラマの感想や、日々思ったことなどを書いてます

私が読んだ初めての「宮部みゆき」は、「龍は眠る」。主人公と一緒に翻弄されました

2017.5.7.
深冬です。

あれは、二十世紀も終わりに近づいてきた頃のことでした。
友だちが「これ面白いよ」と貸してくれたのが、「龍は眠る」。
本当に面白かった。
その後、自分でも買いました。

「龍は眠る」は1991年刊なので、携帯電話が普及する直前が時代背景になっています。
営業職の人たちが、ポケベルを持たされていた頃くらいかな。


話は雑誌記者の高坂省吾の一人称で進みます。
トーリーは嵐の日、自転車をパンクさせた16才の高校生、稲村慎司を車に乗せてあげた所から始まります。
雨で前方が良く見えない状況で、車が何かに乗り上げた。それを確認しに行くと、マンホールの蓋が開いていた。近くには子ども用の小さな黄色い傘。そして子どもを探す父親に会う。
いやな推測しかないが、まだそうと決めつけられない。
そんな状態の中、子どもの傘を預けた慎司の様子がおかしくなる。
嵐の中、警察が呼ばれ、捜索が始まる。
高坂は、慎司から自分はサイキックだと告白され、犯人を知っているというが、信用はしない。でも彼に付き合って行った先で、慎司が指摘した若者たちが、本当にやったのではないかと高坂は思う。
その場で、慎司が少年らしい憤りで、マンホールを開けた犯人に責任を追及してしまう。高坂は、事態を硬化させたと慎司に言うが、若い彼には通じているように見えない。
それでも、高坂には、だんだん彼が本物のサイキックのように思えて来た。
一方で、高坂は、白紙の手紙を受け取り続けており、いったいなんなのか困惑するのみ。
そこへ、織田直也という青年が、慎司のサイキックと言う話は全部ウソだと告げに来た。その話は全て筋が通っている。
高坂は、彼らについて調べ始めることにした。他方では、白紙の手紙は届き続ける。
この手紙はなんなのか、サイキックは本当に存在するのか。


推理小説なので、やっぱり一番最初に読んだ時のインパクトが一番大きいです。
あまりネタばらしをすると、読んだ事のない人には楽しみがなくなるので、あらすじはこのへんで。


ここからは、感想です。読んだ事のない方は、ネタばれしてしまうともったいないので、読んでから、ツッコミを入れに来て下さい。

Amazon:
龍は眠る (新潮文庫)




最初の嵐の中のドライブで何かに乗り上げた時、私は、人を引いたのかと思ってドキドキしました。けれど、話はそんな単純な事ではなくて、もうここから私の心はわしづかみにされておりました。

小さな嘘や、言い訳や、責任逃れなどのために、足掻いていたとしても、人の心の中はそうそう推し量れるものではありません。

けれど、それが見えてしまうというサイキックの慎司と直也。
その生き辛さは想像を絶します。

16才の慎司には、一人で生きて来た19才の直也が、とても「大人」に見えていたでしょう。
けれど、高坂から見れば、二人ともまだ大人とは言えない。

そして高坂も違う意味で「生き辛さ」を持っている人の一人だといえると思います。
三村七恵も声が出せないという「生き辛さ」を持っている。
自分の理想に沿ってしか生きようとしない川崎小夜子も、本人の気がついていないところで、その「理想」が「生き辛さ」になっていたのではと思う。あんな状況に引き込まれてしまったわけですから。

「生き辛さ」は、人それぞれ、命の数だけあるのかもしれません。

サイキックだから理解されない。

この「サイキック」は、だから、別の言葉を当てはめることが出来るように思います。
幸いなことに、パンドラの箱を開けてしまった「サイキック」という存在は、この世には存在しない。(しませんよね?)
だから、あてはめられる別の言葉での「理解されない」苦しみは、全て消えることは無くても、当たり前のことになる未来が、やって来ないとは言い切れません。
報われないように思える努力も、放棄しない限り、理解への道はなくならないと信じたい。
高坂は、慎司を信じたんだから。

小説の言葉通り、どうしてあるのかではなくて、「そこにある」のですし。


痛みを知っている人は、他者に優しくできるとよくいわれます。

けれど、そこに至るまでに乗り越えなければいけない事は、簡単なものではなく、壁や山や谷はいくつもある。
二度と同じ過ちをしたくないと思っても、人生において、全く同じシチュエーションなんてないから、同じ間違いを繰り返すかもしれない事を覚えておかないといけない。そして繰り返さないように学ばなければいけない。
慎司のように。

そうして痛みを乗り越える人がいる。
反対に、痛い思いをしても、全く学ばない人もいるでしょう。
痛い思い自体、最初から理解しようとしない人もいる。
他者の痛みに引き込まれ過ぎる人も。

だから、頑張り過ぎないで、見返りを期待したくならない程度の努力ができればいいのかも。

少ない?

でも、そう、慎司がこの物語の中でたどり着いた答え。
一年に一度くらいは考えてもいいんじゃないかな。
というふうに。